コロ婆こと私の母が亡くなりました。
79歳。
最後は自分の事以外はほとんど出来なくなってしまって
そして
一人でふらっと出かけてしまってパトカーで帰ってくるようになってしまいました。
私ももっと実家に行かねばならないな…と思っていた矢先。
それまでも『一人で出かけてはダメだよ』とコロ爺こと父が言っても、その時は『はいはい』と返事して…一人で自転車乗って病院にも行ってしまって…。
そのあたりから私と父と二人で母の病院へ毎月行くようになりました。
買い物にも一人で行ってしまって、財布置いてきてしまったり、
よそのお宅の庭に入って草むしりしてたり^_^;
でも私のことはまだ忘れずにいて、そしてジャムらずを連れて行くととても喜んでくれました。
…でもジャムとララの区別がつかず^_^;(まぁ似てますけどねうちのチワワん)
なぜかララの名前が覚えられず…
『えっと、こっちはジャムで、この子はなぁに?』と毎回、というより常にしょっちゅう私に聞いていました^_^;
『ジャム〜パンにつけて食べちゃうぞ〜』
と言うのが口グセ^_^;
なぜかララの名前が覚えられなかったなぁ。
そんな母がこの前ひと月前くらいに
『こっちはジャムでこの子はララ』と言えるようになったところでした。
実家のチワワ、コロのお散歩は母の日課でしたが、何度か一緒に歩きましたが、ホント、母のペースでスタスタ歩くもんだから、コロはリードをたまにグイグイ引っ張られて、『もっとゆっくり歩いてあげてね』と何度も言いました。
でも『そうだね〜』と返事しても変わることはなかったなぁ、コロ、よく付き合ってあげてた、偉かったです。
父は仕事に行くときは(植木の仕事をしてます)
コロに『ばぁちゃんとお留守番頼むぞ〜』と言い、そうするとコロは母の足もとで伏せるそうです。
ちゃんとコロはわかってたんだねぇ。
コロはどちらかというと父にべったりでしたが、留守番は母と、と思っていたのかな…?
母が亡くなって周りはバタバタし、見知らぬ人が出入りしたり、みんな黒い服を着て、…何か感じたと思います。
父がコロを呼んでも来ない時があったり、抱っこすると『キャン』と泣いたりしたそうです。
でも私が普通にこんな時こそ【平常心を装って】
『コロ〜』
と呼ぶと来て、抱っこもできました…きっと父の動揺がコロにはつたわっていたのだなぁと思いました。
コロは吠えない、噛まない、いわゆる【おとなしい、扱いやすい】チワワなのだと思いますが、小さな頭の中でいろいろと思ったり感じたりしてますよね、コロなりの反応というか不安も感じていて心細く、少し怖かったのかな…と思いました。
お通夜はジャムらずも連れて行って3ワンでお留守番しました。
ジャムらずが一緒だと安心できるかな…と私の勝手な思いですけど。
母は急性心不全で夜、お風呂に入っていて亡くなってしまいましたが、昼間いつものように自分のペースでスタスタとコロと散歩し、美容院で自分から行くと言ってカットをし、3ヶ月かけて縫っていたブラウスとパンツを仕上げて…亡くなってしまいました。
母との思い出は厳しく怖かったことばかり。いい歳してもなおよく叱られました。
私の言うことはことごとく反対され、叱られて、結婚した時は家を出られた…という安堵感があって、あまり実家に足が向かなかった、悪い娘だった私。
そう言えば叱られなくなったのはボケてしまってからかな…(いつまで叱られてたんだ、私^_^;)
私はずっと母に『認めてもらいたい』って思っていたんだなぁといろいろと勉強するようになって気づきました。
そんな私が、今、私自身を変えるために自分と一番戦って、自分を変えたくて、ジャムとララを育てています。
こんな風に思えるようになったのはジャムとララのおかげです。
ジャムとララと母にもありがとうの気持ちです。
posted by ジャムラ母 at 22:08| 茨城 ☔|
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